佐山雅弘のブログ

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2017年1月29日
Tシャツと靴と唇 大村憲司の思い出。

 大村憲司の本が出た。懐かしく眺めているうちにいくつか思い出したエピソード。
Tシャツ:
 ビクターでレコーディングしていた何日目かのこと。
「通りすがりに良いTシャツがあったから値段はいくらか訊くと6万円だってさ。ふざけてるよなぁ」
「そりゃ手が出せませんね」
「買(コ)ぉたがな」
「買(コ)ぉたんですか!?
「しゃぁないやろ、えぇと思てしもたんやから」
途中からいきなり神戸人と尼崎人の関西弁トークになる。標準語で会話にニュアンスが出にくい場合即座に地言葉で語れるところが同郷人(とはいえ細かいヒエラルキーはあるのだが)の良いところ。
 お坊ちゃん、というのではなく芸術的美学。KenjiのプレイをKenjiたらしめている所以を感じた。
靴:
 新しい靴を買っても、一ト月しないうちに甲に凹みが出ますね。あれがイヤでマメにシューキーパーするのだが中々果たせない。
 憲司さんの靴。いつも洒落ているのは当然として、甲の凹みを見たことがないことにある日気がついた。
「どうやって履いているんですか?」
「気をつけて履いているだけさ」
その後何度もトライしてるが駄目である。すぐに買い替えるのかなぁ? とにかく半端ない「お洒落気遣い暮らし」が伺える。
唇:
 関西人は柔らかい食材を好むせいか、あるいはよく喋るせいか、口元がキリリとしていない。ことが多い。唇も厚すぎない程度にふくよかな人が多いのだが、憲司さんの唇は理想のトランペット吹きのような薄め一文字。柳の葉を美しく並べ重ねたよう。おいしいものしか食べていないように思えるので、
「幼少の頃から美食の家庭でしたか ?」
「そんな贅沢な育ちはしていないよ(笑)。ただ、買い食いは絶対に禁止だったな」
そこら辺りは「神戸のボン」なんである。

 「ドラムやフロントの意を汲んで按配良くサポートしている。と見えて実は君が音楽性をリードしているんだよ。自信を持って少し高い位置から全体を引っ張ることを今後心がけなさい」
と教えられた時は嬉しかった。ちょっとした音楽人生の転機だったかもしれない。劣等感とまではいかなくても、人の後から後からついて行く傾向(性格 ? ではないと思うけど)は謙虚な面はあっても美点とは限らないのだ。
 中学の数学教師、二宮先生に「君は成績こそ取り損ねているけど、数学的なセンスは随分あるんだよ」と言われて嬉しかった時と似ていた。自信を持ってみたらその後向上したところも似ている。

2015年1月1日
伝兵衛の記2

“ジェットコースターツアー”
 伝兵衛商会のツアーに誘われて一も二もなく参加した。九州を廻れるなんて嬉しい限り。初日に大分について会場はというとお城の敷地内の県民会館。「今日は誰が出るの?」と訊くと「我々ですよ」
 僕はてっきり誰かの前座だと咄嗟に解釈したのだった。「自分が知らなかっただけでこの人実はそのくらいのクラスの人だったのだな」・・・とこういうところが策士といえば策士なんですね。ずっと後になって彼の50歳記念コンサートのポスターを和田誠さんにお願いした時も「僕は知らなかったけど佐山さんの紹介だしNHKホールで単独コンサートをするくらいだからそれなりの人なんだろうと思った」と仰ってた。
 で、初ツアーイン九州に戻る。翌日がライブハウスだったかどうかとにかく狭い所広い所取り混ぜて彼の活動範囲レパートリィとでも言う所を満喫。これは言うなれば交際を始める時にデート場所を高級レストランからスタートして牛丼屋まで慣れさせるなかで理解を深めてもらう方法に似ている。まず正直な所から、つまり牛丼屋デートから始める方法もあるけど、どちらが効果的かは相手にもよるだろう。ぼくは伝兵衛方式にまんまと乗せられてしまった訳だ。彼が死んでしまうまで続くことになるそんな面白い"どこでもライブ体験"の中でも二カ所忘れられない所がある。
 国分(鹿児島)ではライブも行うスナック状の店。ピアノが無くてヤマハDX-1の初期型1台ポツンと用意されている。ピアノの音色も何もあったものではないのだが伝兵衛自身がギターと歌なのでそこはそれなりにオブリガートやストリングスセクション、ブラスセクション、クラビネットリズムパターンなどでお遊び盛り上がり。それなりにというか結構楽しく終えた。店の人も大喜びで「次回も必ずDX用意しておきます!」・・・ピアノにして欲しい・・・
 もう一カ所は“串焼きテルちゃん”。大分市の目抜き通りにある間口一間(イッケン)奥行き十間の縦長の店。長〜いカウンターと平行して並ぶテーブル席。20人も入れば一杯の空間でなんと伝兵衛はカウンターに腰掛けて歌い、テーブル席に無理矢理置いた電子ピアノを僕は弾くのだ。あまりと言えばあまりの設定だがその年最高の演奏が出てしまったりするんだなぁ。“こんな所でたった今俺は今年最高のプレイをしているゾ”などと東京文化会館を思い浮かべながら。乙なもんである。

関西再発見・河内と淡路島
その1“ダルマード”
 大坂南部、いわゆる河内地方は摂津尼崎人としての僕には縁の薄い所だったのだが伝兵衛に連れられたのが松原ダルマード。“鄙には稀な”というが実にバーらしい大人のバーなのである。オーナーはカジさんという。さほど年も取ってないのに趣味の良い大人な人。若い時からちゃんと大人な人というのがたまにいますね。僕の同級生にもいた。松田信夫君。所を得ないまま三十台でなくなってしまった。
 引き合いに出すには大物過ぎるけどバーラジオの尾崎さんなんかもそういう人だったんだろうと思う。バーラジオのレッドアイの素晴らしさは思い出すだけで幸せになる。バーというのはそういう場所であるべきで、やがて難波黒門市場前に出来るダルマードに足しげく通う事になる。天下茶屋のニベさんも同じ匂いのする大人で件(くだん)のNHKリサイタルでは舞台上に設えたバーのバーテンダーになってもらうことになる。背景でありながらそりゅえに実にリアルな絵面になっていた。上質の映画のように。
その2“ジョルジュ”関西の味に目覚める・・・に続く

2014年12月19日
伝兵衛の記

 “出会い@日比谷野外音楽堂”
夏の日比谷でブルースフェスティバルに出ていた。永井“HOTOKE”隆と。ウエストロードブルースバンドに混じったか、クレイジーブギナイトだったか忘れたが他に近藤房之介や憂歌団などもいて、酒と女の匂いがムンムンする賑やかにも猥雑な・・・まぁアノ感じ。ギャラや楽屋には一言も文句を言わない聖人のような正木五郎さんが弁当の不足や遅配のことになると烈火の如くお怒りになる、なんていう面白い出来事もあった。何かしら事件やエピソードが生まれるのが面白い。
 大塚まさじさんが田と川律さんが現れ、やぁやぁと話していると何やら相談事があるらしい。鹿児島から上京してデビューを控えたシンガーソングライターにアレンジとピアノを、という話。紹介されたのが伝兵衛だった。これといった印象はおぼえてないが一体に僕は人について判断はしないのだ。特に男には無関心。ブサイクな男がとてつもない才能を持っていたり、目立たない女がステージでは狂乱の振る舞いを見せたり、親切この上ない大人がギャラの持ち逃げをしたり・・・クセのある人ばかりに混じるうちに先入観を持たなくする習慣が身に付いたのではなかろうか。
 それはともかく歌手や企画が気に入ったというよりはまさじさん律さんという大物どころにご指名を受けた嬉しさで引き受けたのだった。

 “葵スタジオ”
 伝兵衛と一緒にやって来た所謂“伝兵衛商会”のメンバーはギターのツネちゃんとベースの山田君。木管五重奏(フルート・オーボエ・クラリネット・ファゴット・ホルン)に小編成ながらも弦楽五部(5・5・3・3・1)を乗せて僕のピアノも加わるという豪華な編成で“湘南レイニーデイズ”“Wesが聴こえる”を録音した。作詞のクロさん、その旦那のゾウさん(西岡恭蔵)桑名の晴ちんもいてとても豪華で・・・ず〜っとうるさい。ぺっちゃらくっちゃらべちゃらぐちゃら。麻布十番にいるはずが阿倍野か天下茶屋か・・・。
 当時務めていた加山雄三さんの所で一緒のバイオリニスト、岡本エリが真っ黄色のスーツで決めて来て鮮やかだった。程なく服部隆之夫人になり天才少女バイオリニストを有無に至るのだがそれはまた別の話。
 フォークともポップスともジャンルの名付けようの無い伝兵衛ミュージックは当時から健在で僕のアレンジもジャズに則ってはいるがある種クラシカル、ある種リズミカルで良い味に、面白い化学変化だったと思う。残念ながらこの音源の発売はスムーズにいかず、別録りの自主盤を出して何年か紆余曲折を経て世に出たように記憶している。

“ジェットコースターツアー”
 伝兵衛商会のツアーに誘われて一も二もなく参加した。九州を廻れるなんて嬉しい限り。初日に大分について会場はというとお城の敷地内の県民会館。「今日は誰が出るの?」と訊くと「我々ですよ」
      つづく・・・


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