佐山雅弘のブログ

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2016年12月8日
トリフォニーホール

島田歌穂
 新日フィルのコンサート。ゲスト島田歌穂さんのお手伝いで錦糸町のトリフォニーにてリハーサル。久しぶりのご一緒だが以前にましてうまさを痛感。持ち曲の“On My Own”は勿論絶品。余人を寄せ付けない高みがある。“サウンドオブミュージックメドレー”の広すぎる音域も楽々と歌いこなし、歌の力でオケを引っ張る見事さ。“Have Yourself a Merry Little Christmas”では英語の発音の綺麗さで押韻その他、曲の良さを存分に引き出している。広いコンサートホール、数人の客席で聴く贅沢さを満喫。

千住真理子
 僕が満喫したもう一人のゲストは千住真理子さん。メンデルスゾーンのバイオリンコンチェルトを全曲通してリハしてくれて最高の贅沢。あちこちでポスターを見かけ、一般の人に判りやすいプログラムが多い印象があったのだが、メンコン・・・いや、素晴らしかった。通る音、太い音、ダイナミックな構成と繊細な音楽表現が縦横無尽で、同曲をCD、ライブ数々聴いてきた中でも一番だった。

トリフォニーホール
 何本かの高音管が正面を向いているオルガンを聴いてみたいと思わせるホールの響きも素晴らしいが、客席から出るときに印象に残ったこと。二重扉は当たり前として、開閉時、外部からの光漏れがステージから見えないように板壁が工夫されているのだった。これははじめて見た。細やかなホール作りをしているのだなと感動した。

自問
 錦糸町の駅に向かいながら自問。“僕は歌穂さんの歌が好きか?大好きか?”実はよくわからない。しかし今日はっきり判ったことがある。僕がほとんどの歌手のことを嫌いだと感じてしまっていたのは、それは嫌いなのではなくて“好き・嫌い”の土俵に上がれてない歌手ばかりだからだ。歌穂さんくらいちゃんとしてくれていて、はじめてその後の“大好きかどうか”になるのだ。

自戒
 常に伴う単純な好き嫌いは、容貌・態度・図らずも表われる物事の考え方捉え方など、諸々の総合から来るものであり、音楽家の本質は実はそこにあるとも言えるのだが、少なくとも目にし耳にする様々な歌手のことを一括りに、“嫌いだなぁコンナノ”と早急な結論を出すのはやめようと自戒した。そういう対象には器楽奏者も含まれるはずだが、プロ・アマチュアを通じて、嫌いになる器楽奏者は滅多にいない。このことも自問の対象になるだろう。などと思索が次の項目に移る頃、降りる駅をはるかに過ぎていた。

2016年4月25日
2016Apr25 身辺雑記

◎学校生活
 新学期が始まった。卒業式を見届けて。入学式に参加して。授業を三つ受け持って。図書委員会に入って。と、オツトメ4年目にしてなんだかマットウな先生風。ある学生に「好きなものは?」と聞いた所、「八十八カ所巡礼」と答えたので、随分殊勝な若者もいるものだと思ったら、そういう名前のロックバンドがあるのだそうだ。一緒に聞いてみる。とてもハードでコアなギタートリオだった。一緒に勉強していくことにした。
◎コンサート生活
4/10 ミューザ川崎シンフォニーホールにて恒例の「オーケストラで聞く映画音楽」。
 和田誠夫妻来訪。久しぶりだったので嬉しかった。和田さんの誕生日どんぴしゃだったので、楽屋で乾杯。ノンアルコールシャンパン。シャンパンをきちんと作ってからアルコール分を抜いて作るのだそうだ。ご苦労様なことである。合唱のピアノ伴奏は井上陽介。
 中井美穂さんのスタイリストさんは、由紀さおりさんも手掛けていて、僕とは旧知の間柄。「最近ブログ書いてないじゃないの」「え?読んでくれてるの?」「アップされるのを見ると、あぁ、元気にやってるんだなぁ、と思って安心するのよ。」というわけで、身辺雑記でも良いか、と書き出した次第。
 7月のルッツさんとのデュオコンサートに向けて勉強の日々。ガーシュイン“3つのプレリュード”を弾けるようにする。“ポギーとベス”の抜粋メドレーを作る。“魔笛”の抜粋メドレー、これはルディが作ることに・っているのだが、予習としてDVDを何種類か見ること。楽しいながらも中々に目白押し。
 年末から年始にかけてオーケストラと共演しそうな話が2つ。それぞれに書き下ろしたいものがあるので打ち合わせが楽しみ。打ち合わせてしまえば締め切りに追われながらウントコドッコイぎゅうぎゅう書くので、自分の首を絞めることにもなるわけだが、それも楽しみのうち。
◎ ライブ生活
寺井尚子GのCD発売記念ツアーが始まった。
4/22^23、大阪ビルボード。4/15^16、名古屋プルーノート(翌日そのまま仙台でのコンサート付き)。二日とはいえ、その土地に居続けると“〇〇場所“な気持ち。大阪場所では、MATTZがどのようにしてパーカッショニストになったか。名古屋場所では、金子健の現在に至る感動的な話。名古屋の楽屋では、荒山諒の”ちょっといい話“。「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」とは昔からの格言だが、「旅には出てみよ、酒は飲んでみよ」というところ。往年ほどではないが、そこそこ飲めるようになったのが嬉しい。飲みに出るといい話がいっぱい聞ける。そこがまた楽しい。
 藤原清登とのデュオアルバム。発売記念ライブが迫っている中、発売会社(キングレコード)が異例ともいえるほど多くの取材を取ってきている。二人では音楽的に立ち入った話等しないが(共演のなかでわかりあってる)インタビューされるのも良いもので、互いに答えているうちにやはり似たような感慨や、アプローチをしているものだと確認出来る。先日柳家喬太郎師匠との二人コラボ(紀伊国屋劇場)に関しても、幾つかインタビューを受けながら同じ感想を持った。落語家さんとはミュージシャン同士以上に立ち入った話はしないものだから、色んな物事に対する彼の捉え方・考え方が伺えたのはプロモーションのことを脇に置いて、貴重な体験だったことだ。
◎ 読書生活
○シーラッハ、という作家にハマっている。ドイツ人作家。少し前まではスエーデン。“ミレニアム”TからV全6巻を二度読み。
○カート・ヴォネガットの講演集が出た。感動。感動した箇所に線を引いておいて抜き書き。ブログにアップしたい所だが、著作権法上まずいだろうな。
○ 昨年読んだ、芝豪“朝鮮戦争”上下巻を読み返しながら、メモ代わりに棒線を引く。こちらもノートに書き移しつつある。日本人が共通して知っておくべき客観情報として広まってほしい。
○ “ソクラテスの弁明”。回りくどい叙述に何度も挫折していたが、ある新聞記事がきっかけで読み直してみると、今度はバイドーンまで読通せた。以下は書き写しではなく、僕の受け取り方と個人的な感動だから、問題はないだろう。間違っているかも知れないが・・・
 間もなく訪れる死の後に何をしてほしいか、という問いに「私の為の何事かではなく、君自身のことをしてくれ。それが結局はわたしのためになることなのだ」

2014年12月28日
名古屋滞在記プラスα

身辺雑記 
 金曜日には更新を心がけてはいたが先週の火水木と3日間の名古屋滞在につづいて金曜日はフジテレビに直接入って丸一日の収録だったので果たせなかった。伝兵衛話は今週末に伸ばして名古屋での身辺雑記を・・・
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 久しぶりの松田昌とのデュオはさるお医者さまのクリスマスパーティにお呼ばれ。名作“楽しいバス旅行”名アレンジ“月の砂漠”など堪能するとともにピアノの引き心地も復調を実感出来て良かった。
 翌日はオフ。11時に起きてゆっくりとテレビ塔まで散歩。入院中夢に見たユリのチキンライス。一口入れては砂時計。2分経ったら次の一口、というのを心がけている。これはこれで立派な闘病なのだ。だからひとさまと一緒の時は3分の1程で食事が終わる。いっときの可能摂取量もそのくらいだからちょうど良い。
 今日はアナログレコードでジャズを聴きながらチビチビと。たっぷり1時間かけて食事。ケーキセットでまた1時間。最近初訳されたパールバックを読みながら「これぞジャズ喫茶の楽しみ」を満喫。
 部屋食料を仕入れる。明治屋があったと思ったらいつの間にか閉店していた。ブルーノートお向かいのマルエイ。成城石井も入っていて喜んだがポールウインナはなかった。つねに腹八分なのでおやつといわずおかずと言わず身辺に食べ物が常備されていると安心なんである。
 宿に帰って昼寝して後、小井政都志に教わった店を探す。あんかけスパゲッティの悪口で盛り上がっていた時に「あそこだけは旨いぞ」と聞いていた“そーれ”。たどり着いてみると床屋かと見まごうカジュアルさ。教わった通りに“ミラカンをクラッシックソース”で注文してから見回すにどうも盛りが良い。少なめにと頼もうかと思っているうちに出て来てしまう。ウインナとハムを同じように薄くスライスしたものがふんだんに乗っていて以前なら大喜びだが今は少量にて我慢しよう。
 一口食べて砂時計待ちのあいだに肉類とタマネギを仕分けてままごとっぽく楽しい。我慢出来ずに選り分けたはずの赤ウインナを固まりでがぶり!「なんのこっちゃねん」などと一人突っ込みしながら、あららら完食してしまった。所要時間は1時間強。

 翌クリスマス・ブルーノート出演当日は2時半集合。いつもは込み出す前の11時半を目指して訪ねる”以ば昇”に混雑後であろう1時半に行く。予想以上に空いていて庭に面した四人がけに一人でゆったり。「ラッキーですね」と笑いかけると「うちにとっちゃラッキーでもないですね」と笑いながら返してくれた。
 ひつまぶしを待つ間の”う巻き”の時間。普通ならビールを飲みながらのところをお茶で。結構間が持つものである。池の鯉とバーチャル会話したりして。
 “造られし瀧をのがれて錦鯉”
 なんて一句ひねったりして。

 酒には酔わず、贅沢な時間と食事に満足して現場へと向かったのでありました。
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身辺雑記について
 “エッセイ”って一体なんなのだ!作品を書けない物書きともいえない物書きの常套手段か?と池澤夏樹さんに聞いた事がある。阿川佐和子がぼちぼち売れだす頃の話。
 エッセイというのはモー・パッさんが始めた形式でフランス語をそのまま訳すと“試論”ということになる。考えてもたどり着かないが書き進めるうちに自分の考えが明確になってくることがある。そのために先ず書き出してみるというのはとても有効だし結果面白いものになるのです。その散文形式を拡大して「身辺雑記」にしたのは出版社の工夫でしょうね。お陰でタレント本も“エッセイ集”みたくなんだか賢そうな体裁になる。
 流石に頭の良い人は説明もうまい。「で、阿川佐和子はどうなんです?」と食い下がると「佐和子さんは彼女自身がエッセイだから」・・・
 当時はうまくはぐらかされた印象。そして十年以上経った現在。池上さんは河出書房で世界文学全集をプロデュースするし佐和ちゃんは今をときめく売れっ子作家だし、と喜ばしい限り。
 「彼女自身がエッセイ」>>>阿川佐和子という“生き方のお試し”と読み解いてみるとなんと納得のいく事か。池澤さん、予言者でもあったのね。


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