佐山雅弘のブログ

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2016年4月25日
2016Apr25 身辺雑記

◎学校生活
 新学期が始まった。卒業式を見届けて。入学式に参加して。授業を三つ受け持って。図書委員会に入って。と、オツトメ4年目にしてなんだかマットウな先生風。ある学生に「好きなものは?」と聞いた所、「八十八カ所巡礼」と答えたので、随分殊勝な若者もいるものだと思ったら、そういう名前のロックバンドがあるのだそうだ。一緒に聞いてみる。とてもハードでコアなギタートリオだった。一緒に勉強していくことにした。
◎コンサート生活
4/10 ミューザ川崎シンフォニーホールにて恒例の「オーケストラで聞く映画音楽」。
 和田誠夫妻来訪。久しぶりだったので嬉しかった。和田さんの誕生日どんぴしゃだったので、楽屋で乾杯。ノンアルコールシャンパン。シャンパンをきちんと作ってからアルコール分を抜いて作るのだそうだ。ご苦労様なことである。合唱のピアノ伴奏は井上陽介。
 中井美穂さんのスタイリストさんは、由紀さおりさんも手掛けていて、僕とは旧知の間柄。「最近ブログ書いてないじゃないの」「え?読んでくれてるの?」「アップされるのを見ると、あぁ、元気にやってるんだなぁ、と思って安心するのよ。」というわけで、身辺雑記でも良いか、と書き出した次第。
 7月のルッツさんとのデュオコンサートに向けて勉強の日々。ガーシュイン“3つのプレリュード”を弾けるようにする。“ポギーとベス”の抜粋メドレーを作る。“魔笛”の抜粋メドレー、これはルディが作ることに・っているのだが、予習としてDVDを何種類か見ること。楽しいながらも中々に目白押し。
 年末から年始にかけてオーケストラと共演しそうな話が2つ。それぞれに書き下ろしたいものがあるので打ち合わせが楽しみ。打ち合わせてしまえば締め切りに追われながらウントコドッコイぎゅうぎゅう書くので、自分の首を絞めることにもなるわけだが、それも楽しみのうち。
◎ ライブ生活
寺井尚子GのCD発売記念ツアーが始まった。
4/22^23、大阪ビルボード。4/15^16、名古屋プルーノート(翌日そのまま仙台でのコンサート付き)。二日とはいえ、その土地に居続けると“〇〇場所“な気持ち。大阪場所では、MATTZがどのようにしてパーカッショニストになったか。名古屋場所では、金子健の現在に至る感動的な話。名古屋の楽屋では、荒山諒の”ちょっといい話“。「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」とは昔からの格言だが、「旅には出てみよ、酒は飲んでみよ」というところ。往年ほどではないが、そこそこ飲めるようになったのが嬉しい。飲みに出るといい話がいっぱい聞ける。そこがまた楽しい。
 藤原清登とのデュオアルバム。発売記念ライブが迫っている中、発売会社(キングレコード)が異例ともいえるほど多くの取材を取ってきている。二人では音楽的に立ち入った話等しないが(共演のなかでわかりあってる)インタビューされるのも良いもので、互いに答えているうちにやはり似たような感慨や、アプローチをしているものだと確認出来る。先日柳家喬太郎師匠との二人コラボ(紀伊国屋劇場)に関しても、幾つかインタビューを受けながら同じ感想を持った。落語家さんとはミュージシャン同士以上に立ち入った話はしないものだから、色んな物事に対する彼の捉え方・考え方が伺えたのはプロモーションのことを脇に置いて、貴重な体験だったことだ。
◎ 読書生活
○シーラッハ、という作家にハマっている。ドイツ人作家。少し前まではスエーデン。“ミレニアム”TからV全6巻を二度読み。
○カート・ヴォネガットの講演集が出た。感動。感動した箇所に線を引いておいて抜き書き。ブログにアップしたい所だが、著作権法上まずいだろうな。
○ 昨年読んだ、芝豪“朝鮮戦争”上下巻を読み返しながら、メモ代わりに棒線を引く。こちらもノートに書き移しつつある。日本人が共通して知っておくべき客観情報として広まってほしい。
○ “ソクラテスの弁明”。回りくどい叙述に何度も挫折していたが、ある新聞記事がきっかけで読み直してみると、今度はバイドーンまで読通せた。以下は書き写しではなく、僕の受け取り方と個人的な感動だから、問題はないだろう。間違っているかも知れないが・・・
 間もなく訪れる死の後に何をしてほしいか、という問いに「私の為の何事かではなく、君自身のことをしてくれ。それが結局はわたしのためになることなのだ」

2016年3月4日
最終回

M21 劇場の奇跡
 “かくかくしかじかの意味合いでの場面転換を音楽で”という台本の指示。作品の核の部分になるので詳細は書かない。バンドに渡した譜面にはタイトルのみの白い五線紙。
 短いセッションを通じてループするコードが決まる。W7→V7→Ym7というソウルファンク系の王道コードで3吉がロック色満載のソロを繰り広げる。日替わりのアドリブソロが楽しみ。
 バカボンのエレキベースの本領も発揮。“運命”でのベースワークも素晴らしいが、この人にイメージを伝えると最も適切で最もグルーブするリズムを打ち出してくれるのだ。
 基本が出来た所で演出家に聴いてもらい、フリーな部分からのリズムへ入るタイミングや、エンディングに向かうきっかけなどを指示してもらう。
 前半での牟田・花子の登場シーンもバンド全員によるアドリブ。そちらはリズミックな部分がないだけに、まるっきりのインプロビゼイションなのだ。
 フレキシビリティに溢れたお二人の役者は、音に反応したり、逆に音を誘い出したり。毎日楽しいことこの上ない。2回くらいかな。バンド全体がピタリとハマってまるで現代音楽の書き譜のようだったことがある。勿論、その2回は違う演奏。
 だからといって、そのうまくいった感じを譜面に起こしはしないのだ。その時に出てくる音、という勢いの方が構築より優先する場合が音楽にはあって(ジャズという音楽はそれで出来ていて)、この芝居の中にもそれはあって良くて、その辺りの呼吸を作家も役者もよくわかってくれている。ジャズミュージシャンにとって幸せこの上ない現場である所以。

M23 劇場へようこそ
 そしていよいよ大団円。もともと提示した時には、ラスト曲か1部終わりに使う大物だろうと想定したいたのを、大胆にも冒頭に持ってきて、しかもその変奏曲で前半畳みかける用い方にしたのはM1で解説した通り。
 そして大サビから始める部分を、大エンディングに持ってきた。そのことで二時間の舞台が大きな一曲でまとまる。平仄が合う、というか定石ではあるんだろうが、曲先行からここまでの大技にはさすがに舌を巻く。
 ルナは最初いなくて、こちらの曲で初めて参加するので、“未来過去”の盛り上がっていく所に、フェイクメロディを足した。西洋和声に則った合理的な音選びではあるのだが、旋律だけ取り出すとどこかアラビックなような、チャイニーズなような不思議な旋律になっていることを鈴木さんが指摘して面白がった。敏感な人である。
 僕の数少ない映画出演経験で、相米慎二さんにも、和田誠さんにも、背景に過ぎない僕やバンドメンバーのちょっとした動きが、しっかり見られていることに驚いたものだ。きっと本能的に、直感的にフックさせる脳みそを発達させて進化したのだろう。
 そしてルナちゃんのフェイクの決め所は“魔法かけちゃうぞ”。前作での北村さんの名セリフ、名(迷)演技で使われたものを、脚本家に無断で使った。北村さんは複雑だったかなぁ。

M24
 そして大きい〆のような、本編内アンコールのような形で“恋と音楽”。
 稽古場でここまでたどり着いた時には、生きていてよかったなぁ、と泣けてしまった。入院中に頂いたキャストやスタッフの励ましやら、僕がなんとか生き返ってくる間にいなくなってしまった友人たちのことやらが走馬灯になったのだった。死にそうな時には噂に聞いていた走馬灯は現れなかったのに。

思い立ってから、楽屋でだらだらと、のつもりがとても楽しくなっちゃって、一気に書きました。
文中失礼の段、間違い勘違いなどありましたら、すべて文責は佐山にあります。
読んでくださってありがとうございました。
また舞台でお会いしましょう。

2016年3月4日
M19,20

M19 ライフイズミュージカル/歌っちゃおう
 ダンスナンバー。グランドワルツで始まって、ジャズワルツのギターソロからブレイクのあるドラムソロ。ここは北村さんを中心としたタップを想定して作ったのだが、それとは異なった面白さになった。
 スイングに代わる所で投げキッス。この場面、各人各様でとても好きです。ピアノのピックアップでタンゴに。
 “浮気”の曲をもじっている。この部分の最後に「パヤ・パヤパヤ」とあるのは勿論、「ザ・ピーナッツ」ないし宮川泰さんへのオマージュ。M8の“ピーナッツ”の歌のエンディングにこのフレーズを当初入れていた流れで組み込んだ。元歌から消えて、オムニバスにだけ残った、というレアケース。
 そして終盤の盛り上がりはサンバ。伝説の日劇レビューの定番は“ピーナッツベンダー”だったというエピソードを意識した。サンバ特有のパンデーロ(タンバリンに似たブラジル打楽器)のナマったパターンを仙波清彦師匠がスネアドラムで見事に表現している。訛、というにはあまりに見事。譜面には書き表せないが、正確でコンスタント(何度でも同じことが出来る)と言う意味では、きっちりと音符、なんである。世界一なんである。
 色んな局面で時折盛り込む倍テンポフレーズや、2拍3連のシンバルワークも、何気ないようでおそろしく緻密な音符。笑いながら背筋がぞっとすることが何度もある。
 伝統的にしてグローバル。“尊敬を基にした模倣“にしてオリジナル。エレガントにしてコケティッシュなんである。
 八方美人的器用さではなく、どっしりとぶれない中心点からの、断絶のない芸域の広がりなのだろう。その中心点が邦楽である、とも速断出来ない所がまた奥深い。
 最後に「ヤァ!」というかけ声で終わるのは清美先生のアイデア。宝塚と名倉ダンススタジオで僕は馴染んだのだが、あれはあれでアメリカンミュージカルからの輸入なんだろうか?と話題にしてみた。アメリカにもあるが、ミュージカルというよりはレビューの定番。ヨーロッパものに多く見るから、パリのムーランルージュあたりが発祥かも知れない、とのこと。

M20 未来をおそれず
 僕から鈴木さんに提示したもう一つの曲。
 “五つの銅貨”に出てくる三重唱に昔から憧れていた。色んな形で演奏もしていたが、いつかこういうのを作りたいと思っていた。“五つの銅貨”のほうは、“Five Pennies”“Lullaby of Rag Time”“Sleep Tight”の3曲がそれぞれ独立した場面で歌われ、最後に同時に歌われる。主演のダニーケイの奥様が作曲家で、その人の作品。
 島田歌穂さん主演の“葉っぱのフレディ”で島健さんがいい感じの3重唱を作っていたのを見て「いいなぁ」と思っていた。
 メインテーマの“恋と音楽“を稲垣さんの音域に設定しておいてから、合間を縫ったメロディを真飛さんに合わせた音域で作る。これが,
”眠るあなたのそばで・・・“になる。その二つのメロディを縫うように第三のメロディ、これは音域・声域を勘定に入れている余裕はなく作る。”せかいがー“という歌詞がついた。
 それぞれの曲にハマる歌詞も良いが、麗子ソロ→修司ソロ→5人で二重唱→全員で三重唱(ここでの牟田・花子が"僕らの愛は永遠"と微笑みかわして歌うのが素敵)→麗子・修司の二重唱、という構成が絶妙。勿論作詞家の指示。歌詞、歌手の割り振り、組み合わせ、構成。どういう順番で考えていくのだろう?人のアタマを勝ち割ってみたいと思うのはこういう時ですね。
 “恋と音楽”という言葉を“君と音楽”と変えるだけでこんなにも世界観が変わるのか、と今更ながら言葉の力に呆然とする。
 言いたいことと同量あるいはそれ以上の違う意味を含んでしまう“言葉”というものを僕は信用しないのだが、こういうマジックを目の当たりにすると「言葉」というのもあながち悪くない、と思えますね。
 とはいえ歌は音楽と文学の両立。言葉に寄りすぎている歌や歌唱には未だに馴染めない(といいながらフォークソングやジャパニーズシャンソンが大好きだったりするのだが)。その点“恋と音楽シリーズ”はうまくいってると思う。日本語のまま海外で上演しても通じるんじゃないか。僕が英語がさっぱりわからない頃から“五つの銅貨”の三重唱に感動したように色んな国の人々に聴いて、観てもらえたら素敵だろうな。


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