佐山雅弘のブログ

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2016年3月4日
最終回

M21 劇場の奇跡
 “かくかくしかじかの意味合いでの場面転換を音楽で”という台本の指示。作品の核の部分になるので詳細は書かない。バンドに渡した譜面にはタイトルのみの白い五線紙。
 短いセッションを通じてループするコードが決まる。W7→V7→Ym7というソウルファンク系の王道コードで3吉がロック色満載のソロを繰り広げる。日替わりのアドリブソロが楽しみ。
 バカボンのエレキベースの本領も発揮。“運命”でのベースワークも素晴らしいが、この人にイメージを伝えると最も適切で最もグルーブするリズムを打ち出してくれるのだ。
 基本が出来た所で演出家に聴いてもらい、フリーな部分からのリズムへ入るタイミングや、エンディングに向かうきっかけなどを指示してもらう。
 前半での牟田・花子の登場シーンもバンド全員によるアドリブ。そちらはリズミックな部分がないだけに、まるっきりのインプロビゼイションなのだ。
 フレキシビリティに溢れたお二人の役者は、音に反応したり、逆に音を誘い出したり。毎日楽しいことこの上ない。2回くらいかな。バンド全体がピタリとハマってまるで現代音楽の書き譜のようだったことがある。勿論、その2回は違う演奏。
 だからといって、そのうまくいった感じを譜面に起こしはしないのだ。その時に出てくる音、という勢いの方が構築より優先する場合が音楽にはあって(ジャズという音楽はそれで出来ていて)、この芝居の中にもそれはあって良くて、その辺りの呼吸を作家も役者もよくわかってくれている。ジャズミュージシャンにとって幸せこの上ない現場である所以。

M23 劇場へようこそ
 そしていよいよ大団円。もともと提示した時には、ラスト曲か1部終わりに使う大物だろうと想定したいたのを、大胆にも冒頭に持ってきて、しかもその変奏曲で前半畳みかける用い方にしたのはM1で解説した通り。
 そして大サビから始める部分を、大エンディングに持ってきた。そのことで二時間の舞台が大きな一曲でまとまる。平仄が合う、というか定石ではあるんだろうが、曲先行からここまでの大技にはさすがに舌を巻く。
 ルナは最初いなくて、こちらの曲で初めて参加するので、“未来過去”の盛り上がっていく所に、フェイクメロディを足した。西洋和声に則った合理的な音選びではあるのだが、旋律だけ取り出すとどこかアラビックなような、チャイニーズなような不思議な旋律になっていることを鈴木さんが指摘して面白がった。敏感な人である。
 僕の数少ない映画出演経験で、相米慎二さんにも、和田誠さんにも、背景に過ぎない僕やバンドメンバーのちょっとした動きが、しっかり見られていることに驚いたものだ。きっと本能的に、直感的にフックさせる脳みそを発達させて進化したのだろう。
 そしてルナちゃんのフェイクの決め所は“魔法かけちゃうぞ”。前作での北村さんの名セリフ、名(迷)演技で使われたものを、脚本家に無断で使った。北村さんは複雑だったかなぁ。

M24
 そして大きい〆のような、本編内アンコールのような形で“恋と音楽”。
 稽古場でここまでたどり着いた時には、生きていてよかったなぁ、と泣けてしまった。入院中に頂いたキャストやスタッフの励ましやら、僕がなんとか生き返ってくる間にいなくなってしまった友人たちのことやらが走馬灯になったのだった。死にそうな時には噂に聞いていた走馬灯は現れなかったのに。

思い立ってから、楽屋でだらだらと、のつもりがとても楽しくなっちゃって、一気に書きました。
文中失礼の段、間違い勘違いなどありましたら、すべて文責は佐山にあります。
読んでくださってありがとうございました。
また舞台でお会いしましょう。

2016年3月4日
M19,20

M19 ライフイズミュージカル/歌っちゃおう
 ダンスナンバー。グランドワルツで始まって、ジャズワルツのギターソロからブレイクのあるドラムソロ。ここは北村さんを中心としたタップを想定して作ったのだが、それとは異なった面白さになった。
 スイングに代わる所で投げキッス。この場面、各人各様でとても好きです。ピアノのピックアップでタンゴに。
 “浮気”の曲をもじっている。この部分の最後に「パヤ・パヤパヤ」とあるのは勿論、「ザ・ピーナッツ」ないし宮川泰さんへのオマージュ。M8の“ピーナッツ”の歌のエンディングにこのフレーズを当初入れていた流れで組み込んだ。元歌から消えて、オムニバスにだけ残った、というレアケース。
 そして終盤の盛り上がりはサンバ。伝説の日劇レビューの定番は“ピーナッツベンダー”だったというエピソードを意識した。サンバ特有のパンデーロ(タンバリンに似たブラジル打楽器)のナマったパターンを仙波清彦師匠がスネアドラムで見事に表現している。訛、というにはあまりに見事。譜面には書き表せないが、正確でコンスタント(何度でも同じことが出来る)と言う意味では、きっちりと音符、なんである。世界一なんである。
 色んな局面で時折盛り込む倍テンポフレーズや、2拍3連のシンバルワークも、何気ないようでおそろしく緻密な音符。笑いながら背筋がぞっとすることが何度もある。
 伝統的にしてグローバル。“尊敬を基にした模倣“にしてオリジナル。エレガントにしてコケティッシュなんである。
 八方美人的器用さではなく、どっしりとぶれない中心点からの、断絶のない芸域の広がりなのだろう。その中心点が邦楽である、とも速断出来ない所がまた奥深い。
 最後に「ヤァ!」というかけ声で終わるのは清美先生のアイデア。宝塚と名倉ダンススタジオで僕は馴染んだのだが、あれはあれでアメリカンミュージカルからの輸入なんだろうか?と話題にしてみた。アメリカにもあるが、ミュージカルというよりはレビューの定番。ヨーロッパものに多く見るから、パリのムーランルージュあたりが発祥かも知れない、とのこと。

M20 未来をおそれず
 僕から鈴木さんに提示したもう一つの曲。
 “五つの銅貨”に出てくる三重唱に昔から憧れていた。色んな形で演奏もしていたが、いつかこういうのを作りたいと思っていた。“五つの銅貨”のほうは、“Five Pennies”“Lullaby of Rag Time”“Sleep Tight”の3曲がそれぞれ独立した場面で歌われ、最後に同時に歌われる。主演のダニーケイの奥様が作曲家で、その人の作品。
 島田歌穂さん主演の“葉っぱのフレディ”で島健さんがいい感じの3重唱を作っていたのを見て「いいなぁ」と思っていた。
 メインテーマの“恋と音楽“を稲垣さんの音域に設定しておいてから、合間を縫ったメロディを真飛さんに合わせた音域で作る。これが,
”眠るあなたのそばで・・・“になる。その二つのメロディを縫うように第三のメロディ、これは音域・声域を勘定に入れている余裕はなく作る。”せかいがー“という歌詞がついた。
 それぞれの曲にハマる歌詞も良いが、麗子ソロ→修司ソロ→5人で二重唱→全員で三重唱(ここでの牟田・花子が"僕らの愛は永遠"と微笑みかわして歌うのが素敵)→麗子・修司の二重唱、という構成が絶妙。勿論作詞家の指示。歌詞、歌手の割り振り、組み合わせ、構成。どういう順番で考えていくのだろう?人のアタマを勝ち割ってみたいと思うのはこういう時ですね。
 “恋と音楽”という言葉を“君と音楽”と変えるだけでこんなにも世界観が変わるのか、と今更ながら言葉の力に呆然とする。
 言いたいことと同量あるいはそれ以上の違う意味を含んでしまう“言葉”というものを僕は信用しないのだが、こういうマジックを目の当たりにすると「言葉」というのもあながち悪くない、と思えますね。
 とはいえ歌は音楽と文学の両立。言葉に寄りすぎている歌や歌唱には未だに馴染めない(といいながらフォークソングやジャパニーズシャンソンが大好きだったりするのだが)。その点“恋と音楽シリーズ”はうまくいってると思う。日本語のまま海外で上演しても通じるんじゃないか。僕が英語がさっぱりわからない頃から“五つの銅貨”の三重唱に感動したように色んな国の人々に聴いて、観てもらえたら素敵だろうな。

2016年3月3日
M16-18

M16 愛しい生活
 鈴木聡はボサノバが大好き。1stのラザニアも佳い曲だった。“愛しい生活”。なんてボサノバなタイトルだろうと思った。
 1stでの“役をもらうためなら”は、デューク・エリントンの“ソフィストケイテッドレディ”のコードをアレンジしたもの。“愛しい生活”にはもう一つの僕好みの“プレリュードトゥアキス”のコードチェンジから考えてみた。
 元曲はコードのテンション(コードの3つの音ではないが、ずれているような、ハマっているような音)をたどってメロディが作られている。大雑把に言って、一つのコードに二種類考えられるテンションノートの、元曲では使ってない方の音使いで作曲。対旋律に“prelude to a kiss”の骨組みを乗せてみる(高橋香織のバイオリンが麗しく弾いてます)と、なんとお洒落な仕上がり。
 難点は・・・歌いにくい。
 台本が届いた時に、小倉さんの歌うシーンが随分多い。あぁ、彼は歌う人なんだ、SETも音楽ものを随分やっているというぞ、と思って、他の曲も含めて張り切って作った。ふたを開けてみたら豈図らんや!
 それでも良い声をお持ちで、全曲素敵に仕上がってます。
 “♪それが愛しい生活”と歌う3回とも、メロディを微妙に違えてある。“ハネムーン”と同じように、問いかけ、安心、二人の確認、みたいな変化をつけているわけだ。曲を提示した時、北村さんがいち早く、そこに気づいてくれて、小倉さんと話し合いながら、可愛い振り付けとともに、素敵に仕上げていただいた。
 ボサノバの歴史は主に3段階。ジョビンやジルベルトによる創成期(伝統的なサンバをジャズのハーモニーに乗せた)、ナシメントたちに代表されるミノスサウンドの第二期(和声の発展と独自の用法プラス民族性が色濃く出たオリジナリティ)、イバンリンスに代表される第三期(踏襲しながらもグローバルなひろがり。自然にポップスと渡り合う)。
 “愛しい生活”は第三期の自由さを持ちながら、第一期的な“素朴なジャズ(エリントン)への憧れ”が溢れている。
 稽古ピアノ用に作ったイントロは、いわゆるボサノバのギターパターンにはない、と3吉に教わったのであれこれ変えてみたのだが、結局今の形(最初のアレンジ)に落ち着いた。
 ギタープレイ。イントロや歌バックでのリズム打ちも格好良いし間奏やエンディングでのオブリガートがとても奇麗。

M17 浮気
 なんと大胆な歌詞だろう。「大丈夫かいな?」と、驚いたものの、読み下せば自然にメロディが出てくる。歌詞に音符が既に書かれているような。4小節3段まですらすらと。
 “♪ただでさえ”という次の段も、北村さんをイメージしたらスンナリと出てきた。まさかあそこまでの振り付けがつくとは想像しなかったけれど。あの冒頭の動きを見逃すまいとするあまり、イントロを間違えることしばし。
 女子二人が男を責める場面はタンゴ。真飛さんの蹴り上げる足のなんと素敵なこと。いつか見たブエノスアイレスの大劇場での看板ダンサーを彷彿とさせる。
 エンディングに迷っていた。決め込まないまま稽古に持っていったら、「許せない!」の台詞でカットアウト。なるほど、そういうアレンジ法もあるのだな。

M18 ライフイズミュージカル/人生は過ぎる
 明るい曲を暗く使う。短いシーンながらも、鈴木聡の面目躍如。
 香織ちゃんのオブリガートと相俟って、三好のアコギが泣ける。何度目かの本番から、ピアノを抜いて(弾かなくして)みたらますます情景的になった。引き算の美学。ピアノに残った残像的な照明の中で、秘かに演技して楽しんでいる。帽子を使った名倉加代子風。
 3吉がある日ガットギターをあてがっていた。ますます泣けた。そしたら、キャストの一人が“ウクレレっぽい可愛い音ですね”。


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